みなさま ブォナセーラ ♪( ´▽`)
今宵からは「補綴物の歴史」についてレポート致します。
ちなみに、紀元前五世紀頃のエジプトには、すでに歯科専門医がいたそうです。驚きますね〜。
エジプトのミイラには、エメラルドで作られた人工歯がセットされている例が多数発見されています。
これは、死後も食事が差し支えなく行えるようにとの考えからなされた、一種の宗教的儀礼であると考えられています。
古代エジプト第18王朝の第9代ファラオであった、アメンホテプ3世の母親であったツヤは、歯周病だったそうです。
当時の身分の高い者は、柔らかい食物のみを食べていたため、歯周病になることが多かったようです。
当時の治療法としては、細い金線でゆるんだ歯を縛って動かないようにしていたことが分かっています。
また、シリアの地中海沿いに栄えた古代フェニキアの古墳からは、紀元前400年頃の女性の上顎前歯部の補綴物が発見されています。
さらに、ギリシア文化の中心地アツチカからは、紀元前1200年頃と思われる、金の帯で維持した補綴物が出土しております。
これらに類した補綴物は、古代エトルリア人によっても作られていました。
他には、タルクイナの古墓から、牡牛の歯を利用してつくった義歯や、古代エトルリア人の墓からは、二枚の金のバンドを使い歯をはさみ込んで両端を溶接した補綴物も出土しています。
このように、現在のブリッジ様の補綴物は、かなり古い時代から作られていました。
欠損部を隣在歯や近接歯牙に固定する技術は、古代ギリシア時代の医師である、ヒポクラテスによっても紹介されています。
また、古代中東地域では、歯を失った貴族や王族は、奴隷などの歯を抜いて、自分の顎の骨に移植したことも報告されています。
ちなみに、これらは現在の歯牙移植法と同様の処置と思われます。 (⌒-⌒; )
以降、次週に続く。
はやと
2015年6月10日