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補綴物の歴史〜その3

みなさま ブォンジョルノ ( ´ ▽ ` )ノ

本日も、前回に引き続き「補綴物の歴史」についてレポート致します。

日本では、宮崎県の墓所からロウ石製の二歯を彫刻した物や、富山県の畑の中から、四歯を彫刻したロウ石製の義歯が発掘されています。

この付近では、弥生式土器の破片が発見されたこともあり、これらの義歯は弥生期の物らしいと推定されます。

こうした発見により、日本の義歯の歴吏も大変古いことがわかります。

この他、日本に現存する最も古い義歯は、和歌山市成願寺の尼僧(1538年没)の木床一木造りの上顎義歯と言われています。

また、大阪の羽間弥次衛浄心(1673年没)、柳生飛騨守宗冬(1673年没)などの使用した上下顎総義歯をはじめ、現存する古い義歯は200個に及びます。

これらの特徴は、ほとんどの材料が木材(ツゲ)であることです。

その形態と機能性は、現代の総義歯とほぼ同様で、実用性に加え、義歯の維持が粘膜への接着(吸着)が特徴です。

補助的に義歯の内側に綿や紙を入れ吸着を良くしたり、痛みを抑える工夫もなされていました。

木床義歯製作のルーツは、仏師の手慰みから始まったと言われています。

仏像彫刻の注文が少なくなり、仏師は逆に義歯をつくることで生活の糧としたのではないかと言われています。

その後、義歯を作ることを専門とする集団ができ、彼らを「口中入歯師」と称するようになりました。

また、彼らの中には義歯を作るかたわら、抜歯や口中の治療もする者が出てきます。これらの者を「歯医者」と称しました。

従来の口中科や口中医は、一般医学を修得して、口腔疾患や咽喉疾患を中心に抜歯も行いましたが、義歯を作ることはなかった様です。

口中入歯師が口中医と違うところは、医学的専門教育を全く受けていない点にあります。

彼らは義歯製作専門技術の修得を中心とし、その養成は技術を習い、師弟というより親分子分の関係にありました。

なんとこれらの組織は、香具師(てきや・やし)に属していたのです。

彼らが台頭し始めたのは、室町末期から江戸初期で、江戸中期頃には広く全国に散って営業活動をしていました。

彼らは、口中医にかかる事のできない民衆に親しまれた、いわば大衆的口中治療者でもありました。

西欧にも同様な歴史があり、抜歯を見せ物とする大道芸人がいた事が知られています。

以上「補綴物の歴史」という視点から、歯科医学の変遷を辿って参りました。

時と共に成長&進化を遂げる「人類史」。

先人の努力&研鑽に感謝を致しましょう。

そして、私たちも未来に役立ちましょう。

はやと

2015年6月23日

覚悟の瞬間 福翊株式会社 田中多恵

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