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凄まじい執念

みなさま ブォナセーラ ♪( ´▽`)

今宵は「東京都千代田区ネタ」で参ります。

「平将門(たいらのまさかど)の首塚」について

所在地:東京都千代田区大手門1-2-1外

「平将門」は、平安時代中期の関東の豪族で、平氏の姓を授けられた高望王の三男、平良将の子です。

下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争から、やがては関東諸国を巻き込む戦を牽引し、朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し朝敵となり、藤原秀郷と平貞盛らにより討伐されます。

そして、京都で晒し物になった「将門の首」は、何ヶ月たっても腐敗しないどころか、毎夜生きているかのように目を見開き….。

「斬られた私の五体はどこにあるのか。ここに来い。首をつないでもう一戦しようぞ!」

と叫び続け、遂には関東を目指して空高く飛び去ったと伝えられています。

信じ難い事ですが、朝廷に逆らい敗れた「将門の首」が京都から飛来し、その首を埋葬した場所が「首塚」になったと言われているのです。

この「平将門の首塚」は、東京の中心部である大手町にあります。

実際この地に「将門の首」が埋葬されているかは定かではありませんが、この場所では「平将門の祟り」と思えるような出来事が数多く起こっています。

以下は、実際に起きた怪奇現象の一部です。

1923年(大正12年)関東大震災により、大手町一帯は瓦礫の山になりました。

それに伴い、国は大蔵省の仮庁舎をこの首塚のある場所に建設することを決定し、実際に区画整理に着手します。

ところがそれ以来、大蔵省内の役人に病人が続出し、大蔵大臣を筆頭に幹部14名が相次いで亡くなります。

それ以降、わずか2年の間に、更に関係者14名が亡くなると共に、政務次官や事務官をはじめ、数えあげるのも煩わしいほど多くの怪我人が続出しました。

そして、ついに1928年に仮庁舎を取り壊し、将門塚を復元すると共に、慰霊祭を行うに至ります。

また、1940年には移転した大蔵省の新庁舎に落雷があり、雷による火災で庁舎が全焼します。

ちなみにこの年は、将門の没後1000年にあたる年でした。

さらに、太平洋戦争直後の1945年、GHQの計画で首塚の取り壊しが決定します。

ちなみに、跡地は駐車場になる予定でした。

しかし、工事中にブルドーザーが横転し、運転手の男性が死亡してしまいます。

遂にはGHQも平将門の祟りを恐れ、首塚の取り壊しを中止するに至ります。

現在でも、隣接するビルは「首塚」を見下ろすことのないよう窓を設けていなかったり、お尻を向けて座ることのないようデスクの配置に気を配るなど、様々な配慮がなされているとのことです。

いかがでしょう。

みなさまは「平将門さまの祟り」を信じますか?

はやと

2015年9月16日

覚悟の瞬間 福翊株式会社 田中多恵

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