皆さま ブォナセーラ ( ´ ▽ ` )ノ
昨日は、気になっていた「事件」が結審したようです。
誰にも起こりうるこの「事件」…。
一つのテストケースとして、共に考えてみませんか?
先ずは昨日のヤフーニュースの報道からの抜粋です。
「愛知県大府市で認知症の男性(当時91歳)が1人で外出して列車にはねられ死亡した事故を巡り、JR東海が家族に約720万円の損害賠償を求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第3小法廷(岡部喜代子裁判長)は1日、男性の家族に賠償を命じた2審判決を破棄し、JR東海側の請求を棄却した。家族側の逆転勝訴が確定した。」
この裁判には、以下の流れがありました。
1.第一審
名古屋地裁は長男を事実上の監督者と判断し、妻の責任も認定。2人に全額の支払いを命じた。
2.第二審
名古屋高裁は長男の監督義務を否定したものの「同居する妻は原則として監督義務を負う」として、妻には約360万円の賠償責任があると判断。
3.第三審
最高裁第3小法廷(岡部喜代子裁判長)は1日、男性の家族に賠償を命じた2審判決を破棄し、JR東海側の請求を棄却した。家族側の逆転勝訴が確定した。
ということです。
私は、この「事件」に少なからず関心がありました。
なぜなら、以前デイサービスの運営に僅かながら関わりを持たせて頂いたからです。
リアルに「老い」から生じる現実的な現象を目の当たりにする中で、様々な「予想」や「想定」をせざるを得なくなりました。
その一つに「徘徊」と呼ばれる現象があります。
今回の「事件」もそれに相当する筈ですが、あまりにも逃げ場のない出来事に思われて仕方がありません。
事件当初のやり取りで、特に印象的だった遺族側の一言があります。
「認知症の人を一瞬の隙(すき)もなく見守ることは不可能で(後略)」
ここに家庭内における介護の限界が見えます。
国が不特定多数の「介護ニーズ」に応えられる受け皿を整備することは、容易いことではありません。
また、最近話題の「下流老人」という表現にも象徴される「経済苦」問題。
全てが「経済」を軸に回らざるを得ないこの世の中で、それぞれがそれぞれの「事情」を抱えています。
その「事情」の一つが「経済」です。
今回の事件も、完全看護の施設に身を移せば未然に防げていたやも知れません。
ご家族の皆さまも、出来うることであればそれを望んでいらした筈です。
そこにはどの様な「事情」があったのでしょう?
また、視点をJR側に移せば「とんだ災難」と言えましょう。
皆が苦しむことになった今回の「事件」の根底にある「老い」について…。
私たちにとりましても「行く道」です。
様々な備えを想定すべきではないでしょうか。
はやと
2016年3月2日