早いもので、もうすぐ今年も終わりを告げようとしています。
皆様にとって、2023年はどのような年となったでしょうか?
福翊は、今年も、全国の歯科医院様にお邪魔したり、各地で開催されるイベントに出展したりと、まるで渡り鳥のように、あちこちを飛び回る1年となりました。
多くの方とご縁がいただけたこと、心から感謝しています。
年末年始といえば、故郷に帰省する方も多いかと思います。
「故郷」
私が「故郷」と聞いて思い出すのは、母の実家のある福岡県八女市です。
八女市は、周囲を山に囲まれた盆地にあり、いまだに古い街並みも残るのどかな街です。
この歳になって振り返ると、私が、「お口」という小さな世界に、どうしようもない使命を感じ続けるのは、もしかしたら、この八女市に原点があるのではないかと思うのです。
母の実家は大きな商売をしており、たくさんの従業員さんがいました。
社長である祖父は、家や職がなく生活に困窮している人がいると、家に連れてきては、風呂に入れ、食事をふるまい、新しい衣服やお金を持たせて帰らせるような人で、晩年は、村の相談役となり、たくさんの方が祖父の元を訪ねていたそうです。
画家の山下清さんが泊まり込んで絵を描いていたと聞いた時には、ドラマ「裸の大将」の音楽が頭の中で流れ出しました。見ず知らずの人を家に受け入れ、寝食を共にする。本当にそんなことが起こる時代だったんですね。
「おじいちゃん、若い頃は癇癪持ちで怖かったとよ」と母が言っていたので、きっと厳しくも情に厚い親分肌だったのでしょう。
従業員たちに対しても、とても面倒見が良かったらしく、年末になると、お餅やみかんを山のように買い込み、全員に好きなだけ持たせて、里帰りさせていたとのことでした。
仕事場では、通い・住み込みに関わらず、仕事が終わると、番頭さんをはじめ何十人もの従業員が集まって、みんな一緒に食事をしていたそうです。
毎日、魚屋さんが出入りして、昼間から食事の準備をしていたというのですから、祖母の気苦労はどれほどのものだったかと想像します。
そんな祖父の口癖が、
「ちょっとずつでもいいから、みんなで分けなさい」
・全員で同じものを食べる
・自分だけ食べるんじゃない
・刺身一切れずつでもいいから、同じに分ける
「みんなで分け合う」ということを、とても大切にしていたようです。
その教えは、母へと伝わり、私も幼いころから幾度となく、「みんなで分けなさい」「一緒にやりなさい」と言い聞かされてきました。
・同じものをみんなで分けること
・みんなで楽しみを共有すること
一緒に食卓を囲み、おしゃべりし、笑い合いながら食事をとる。
それが当たり前のこととして、私の中に染み込んでいるのを感じます。
そんな祖父のもとで働いていた田中家の跡取り、H伯父さんに、幼い頃からとても可愛がってもらいました。
祖父が早くに亡くなったので、私にとっては、まるで「おじいちゃん」のような存在でもありました。
私が大学を出て、「金属リサイクルの仕事に就いたんだよ」とHおじさんに報告しに行った時、それは奇遇と、大喜びでいろいろな話をしてくれました。
金属リサイクルとの「縁」
その昔、八女市は、鯛生金山で栄えていたそうです。
最盛期の生産量は、金2,000kg、銀11,000kgにものぼり、日本一を記録。一躍山峡の村は金山街と化し、ゴールドラッシュに沸いていたとのことでした。
そんな時代背景もあり、Hおじさんは、若い頃の奉公先で、金属の買取リサイクルを行なっていたそうです。試金石で金の純度を調べたり、店の裏で金属を溶かしたり。時に、偽物の金をつかまされたり…(笑)。
ガハハと笑いながら、そんな思い出話をしてくれました。
私は、大好きなHおじさんがやってきたことと同じことを、自分が仕事にしようとしていることに、不思議な縁を感じました。
Hおじさんのことを思い出す時、いつも、大きな口を開けて笑う姿が浮かんできます。
その口元には、よく磨かれた丈夫な歯が並んでいました。
Hおじさんは、90歳で亡くなる直前まで、自分の歯でご飯を食べていました。
実は、後から知ったのですが、おじさんはとても歯を大切にしていて、虫歯もないのに、定期的に歯医者へメンテナンスに通っていたらしいのです。
耳こそ遠かったものの、体も足腰も健康で、認知症とも無縁。
晩酌も欠かさず、亡くなる少し前の元旦には、日本酒を4合ほど飲み、深夜まで楽しく談笑していました。
最後まで、家族と同じ食卓を囲み、賑やかな会話を交わしながら、人生を楽しんでいたのです。
おじさんが天寿を全うし、火葬場でお骨を収骨するときのことです。
火葬路から棺台車を引き出すと、そこには、火葬場の職員さんも驚くほど、キレイな状態で歯やお骨が残っていました。
ご住職が「衣食住の調和をとって、精神的にも肉体的にも、長い間、中道を生きてきた方なんでしょうね。」と仰っていたのが印象に残っています。
私は、丁寧に骨壷に収められていくHおじさんのお骨を見守りながら、「歯が健康であることは、体も頭も健康であることだ」と強く感じました。
一方で、対照的なM伯父さんのことも思い出します。
おじさんは、若くして病気を患い、亡くなるまで10年ほどの間を病院のベッドの上で過ごしていました。
Mおじさんは、体が弱っていくにつれ、口から食事をとることができなくなり、胃ろうの手術を行いました。
身体的機能が衰え、口から食事をとることが難しい場合、胃ろうにすることで、点滴では補えない栄養素やカロリーを摂取することができます。
胃ろうによって守られる命もあると考えていますが、それでも、
話せない、動けない、食べられない・・・。
首を振ることも、頷くこともできず、唯一できる意思表示といえば、涙を流すことだけ・・・。
そんな伯父の姿を見て、人間にとって、話す、食べるを行う「お口」が、どれほど多くの役割を担っているのかを強く実感しました。
歯科業界との「縁」
貴金属リサイクルの会社に入社したところから始まった、歯科業界との出会い。
義歯の抗菌材の販売に携わることになったものの、資格がなければ患者さんのお口に触れることすらできません。
その状態に疑問を抱いた私は、衛生士学校に入学。社会人になってからの学びの機会はとてもエキサイティングなものでした。
今、病院で勤務しながら患者様と触れ合わせていただいています。固形物を食べられない患者様の中には、「おかゆじゃなくて、ちゃんと形のあるものを食べたい」とおっしゃる方がいらっしゃいます。
摂食や嚥下に関わるリハビリや訓練を続けるうちに、少しずつ固形物が食べられるようになると、患者様は、こちらが驚くような速さで、体力を取り戻していきます。
現場では、このように食事の状態を変えていくことを、「食形態を上げる・下げる」と表現しますが、食上げは、薬より何より気力体力を上げてくれます。
そんな姿を拝見するたびに、食事が人間に与える影響は、栄養素だけではないと感じるのです。
二人の伯父は、私に、「口から食べられる人生」「口から食べられない人生」を身をもって示してくれました。
人間の体のパーツの中で、お口は、ほんの小さな部分です。でも、私は、そのお口を入り口として、人間の命や、人生の豊かさが作られていると思うのです。
食べる、笑う、話す。
お口を使って行う行為は、どれも私たちの喜びに繋がっています。
お口から生まれる喜びが、私たちの人生を豊かに彩ってくれているのです。
お口という小さな世界は、人生のパラダイスにつながっている。
パラダイスは、決して、遠くにあるものではありません。
一緒に食卓を囲み、80歳になっても20歳と同じものが食べられる。
同じ釜の飯を食べながら、たわいもない会話を楽しみ、大口を開けて笑う。
遠くにある理想郷ではなく、日々の中にある、ちょっとした幸せや楽しさこそが、本当のパラダイスなのではないかと思うのです。
お口という小さな世界は、人生のパラダイスにつながっている!
「お口から生まれるパラダイス」
福翊は、来年も、更なるサービスの向上を目指し、「食べる、しゃべる、笑う」お口から始まる幸せをお届けできるよう、精進して参ります。
皆様には、本年も格別のご厚情を賜り、心より感謝申し上げます。
ご縁をいただいた皆様方が、大切な方との大切な時間を、末永く過ごすお手伝いができるよう、なお一層の努力をして参りますので、今後とも変わらぬご愛顧の程を、よろしくお願い申し上げます。
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